~松波のこだわり~
牧場:兵庫県神戸市淡路島、某所
東京オリンピックの年でもあり大変な盛り上がりを見せていました。
当時松波でも1ドルステーキなどのメニューを出して話題を呼んでいました。
現在のステーキハウス松波の場所(東京都台東区浅草1−11−6)へ移転
松波の味を自宅で楽しめると人気を集めている。
ステーキハウス松波の立上げ当時は、お客様目の前で焼くスタイルの鉄板焼きメインの他に洋食などもメニューに載せて提供していた。
1910年3月20日に生まれる。『善次郎・ゆりの子供達 順一郎、茂子、明、力』
善次郎氏は幼少時代に(15歳位)に上京し料理修行を始める。
天皇陛下のお給仕に勤めたのち、20代に満州へ渡り店を出す。(チクリンと言う50人規模の店だったらしい)
このお店のお得意様に満州鉄道の方や、政府の方が来ていた。1946年に日本へ引き揚げて来る。
引き上げ直後、東京台東区浅草の瓢箪池(現 場外競馬場ウインズ浅草付近)にて砂糖などを販売する露店商から商売を始める。
その後善治郎氏は、宮内庁の配膳課で働いたのちに、1964年(東京オリンピック)の年に、『ふぐ割烹 松波』を東京都台東区駒形にてオープンさせる。
・1958年 | 長男 順一郎氏は、京橋 吉野にて10年間鮨修行をする。(18才~) |
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・1964年 | 次男 明氏は、家業に従事(19才~) 大学卒業後、共同通信へ勤める。 |
・1968年 | 取引先の(家業の)縁で、アメリカ合衆国 フロリダ州に「紅花」を出店する責任者としてのお話を頂き、渡米。 その後10年間に渡り勤務する。 |
・1978年 | フロリダ州より日本へ帰国。 |
・1980年 | ステーキハウス松波を浅草にてオープン。 |
・1983年 | 現在の場所に(東京都台東区浅草1-11-6)至る。 三男 力氏は、18~19歳頃より善治郎氏の元にて ふぐ料理の修行を積む。 |
・1984年 | 力氏、30歳の時に姉 茂子氏と共に、東京都台東区雷門にてふぐ割烹 松波として独立。 |
生前、善治郎氏は子供たちの店を一つのビルに構えるのが夢だったと話していた。現在それぞれに、料理の道で活躍し、ビルの夢は叶わなかったが、各々、東京浅草の地においてお店を構えている。