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~松波のこだわり~

ステーキ
ステーキ
あわび
シーフード
目の前の大きな鉄板で「最高級の黒毛和牛」や「活鮑」などの魚介が焼かれるのを見るのは
なんてワクワクすることでしょう。
ステーキハウス松波は浅草にある“肉の品質が自慢”のお店。
国内のみならず、たくさんの外国のお客様からも支持をいただいております。
ご家族の特別な日や接待に、更にはパーティーなどのイベントごとも大歓迎でございます。
浅草にお越しの際は、ぜひ「ステーキハウス松波」お立ちよりくださいませ。
こだわりの肉
“こだわりの肉”
当店で使用している肉は、特選黒毛和牛の中から特に選び抜かれた牛肉を使用し優れた特質は、長年にわたり改良に改良を重ねて受け継がれた優良な血統から生みだされました。
やわらかく、ジューシーな味わい、賞せられる理由はここにあります。
またお肉が苦手な方は、アワビのステーキ、大車海老、伊勢海老、平目、帆立、等々新鮮な季節の海の幸の鉄板焼をご用意しています。
最高級黒毛和牛ステーキ
“最高級黒毛和牛ステーキ”
「さし」は枝肉を第6-第7の肋骨の間で切開し、ロースの断面を見て評価します。
ここの脂肪交雑(さし)の度合いを1(まったく入っていない)~12(最高)の12の段階に分けて区分するのです。
直接足を運び、牧場と連携する素材選びのこだわり

牧場:兵庫県神戸市淡路島、某所

KING OF KOBE BEEF
神戸牛と松波
松波の肉へのこだわりの1つでもある神戸牛。
神戸牛は、牛へのストレス負荷を最小限に抑えた、厳格な飼育基準で育てられます。肉の質を向上させるため、餌は特別な飼料やビールを含む贅沢な食事を与える点も特徴的です。選別する際は、最高品質の個体が厳格に選別され、A4・A5と言ったランクとして分類されます。
肉の質は、霜降りの脂肪が多く、柔らかで風味豊か。まさに、キングの称号に相応しい美味しさです。
当店では、神戸牛の高い品質と味わいを、シェフの厳選した目線で選別しお客様へご提供しています。
最高級の神戸牛、独特の風味と味わいを堪能してください。
シェフのこだわり
シェフのこだわり
創業以来、守り続けているこだわりは、最高級の黒毛和牛を厳選し、
最も美味しい状態で提供すること。
長年の取引実績のなかで蓄積された高い目利き能力によって、
いっさい妥協することなく、上質な食材を仕入れています。
料理を提供するのは、40年以上かけて研鑽を積んできた先代の技を受け継ぎながら、
なおいっそう切磋琢磨し続ける腕利きのシェフたち。
そんな「ステーキハウス浅草松波」が手掛けたスペシャルなお取り寄せメニュー。
「温めるだけ」「焼くだけ」という一手間で、
ご家庭で極上の味を楽しんでいただけます。
ステーキハウス松波 料理長
網蔵将成


「ステーキフォルテ」を営む家庭に産まれ、自身も料理の道を志し2005年服部栄養専門学校にて調理師免許を取得
フレンチレストランにて経験を積み、「鉄板焼き摩天楼」の料理長を経て、2024年1月ステーキハウス浅草松波の料理長へ就任


経歴

レストランフォレスト スーシェフ
佐賀牛銀座季楽
鉄板焼き摩天楼 料理長
JSA認定ワインソムリエ
カンボジアGLV店 料理長
寒河江 雄一


2015年リッツカールトン東京
「ひのきざか」を経て浅草松波に入社
日々奮闘中。
東南アジア文化に興味あり。
趣味筋トレ。


経歴

渋谷割烹 龍飛
銀座 北大路
リッツカールトン東京など
日本料理の修行を積む
松波の歴史

“松波の歴史”
1964年

松波善次郎が「ふぐ割烹 松波」を東京都台東区駒形にオープン。

東京オリンピックの年でもあり大変な盛り上がりを見せていました。

1978年

「東京浅草・ステーキハウス松波」創業

当時松波でも1ドルステーキなどのメニューを出して話題を呼んでいました。

1983年

移転

現在のステーキハウス松波の場所(東京都台東区浅草1−11−6)へ移転

2015年

2代目松波絵里奈、就任

2021年

オンラインショップをオープン

松波の味を自宅で楽しめると人気を集めている。

松波 取締役副社長 松波健太

RIZAP銀座店
ポリシー銀座店 店舗責任者
株式会社Each 代表取締役

松波の歴史
松波の歴史
松波の歴史
松波の歴史
松波の歴史
松波の歴史
ステーキハウス松波、創業者
プロフィール
松波 明氏

ステーキハウス松波の立上げ当時は、お客様目の前で焼くスタイルの鉄板焼きメインの他に洋食などもメニューに載せて提供していた。

松波創業者 松波善次郎

1910年3月20日に生まれる。『善次郎・ゆりの子供達 順一郎、茂子、明、力』


経歴

善次郎氏は幼少時代に(15歳位)に上京し料理修行を始める。
天皇陛下のお給仕に勤めたのち、20代に満州へ渡り店を出す。(チクリンと言う50人規模の店だったらしい)
このお店のお得意様に満州鉄道の方や、政府の方が来ていた。1946年に日本へ引き揚げて来る。
引き上げ直後、東京台東区浅草の瓢箪池(現 場外競馬場ウインズ浅草付近)にて砂糖などを販売する露店商から商売を始める。

その後善治郎氏は、宮内庁の配膳課で働いたのちに、1964年(東京オリンピック)の年に、『ふぐ割烹 松波』を東京都台東区駒形にてオープンさせる。

・1958年 長男 順一郎氏は、京橋 吉野にて10年間鮨修行をする。(18才~)
・1964年 次男 明氏は、家業に従事(19才~)
大学卒業後、共同通信へ勤める。
・1968年 取引先の(家業の)縁で、アメリカ合衆国 フロリダ州に「紅花」を出店する責任者としてのお話を頂き、渡米。
その後10年間に渡り勤務する。
・1978年 フロリダ州より日本へ帰国。
・1980年 ステーキハウス松波を浅草にてオープン。
・1983年 現在の場所に(東京都台東区浅草1-11-6)至る。
三男 力氏は、18~19歳頃より善治郎氏の元にて ふぐ料理の修行を積む。
・1984年 力氏、30歳の時に姉 茂子氏と共に、東京都台東区雷門にてふぐ割烹 松波として独立。

生前、善治郎氏は子供たちの店を一つのビルに構えるのが夢だったと話していた。現在それぞれに、料理の道で活躍し、ビルの夢は叶わなかったが、各々、東京浅草の地においてお店を構えている。